生命

広島から兄が来ました。

 

生もみじ以外買って来たら、◯すと思っていた所、ちゃんと買って来たので許した。

命拾いしたな、兄貴。

 

売れ行きどうなんでしょうね、もみじ饅頭はもうすっかり『生』しか食べない。

先日の東北遠征時、秋田にも行ったんです。弾丸で短時間滞在が故、焦りました。ごはん食べながら秋田の名物ですぐ食べられそう、買えそうな物はないかと。

 

金萬っていう饅頭がソウルフードだと書いている。だいたいこの手のソウルフードはそこまでソウルのフードでは無い(笑)しかし一応秋田に来たという足跡を残したくて、食べることに。

店員のお姉さんに聞かれるんです。『生と、焼き、どちらにしますか?』

一見なので、おすすめ教えてくれと話したら『生です』と。そうか、やはり生か。

 

例えばお姉さんが飲み会の二次会後半あたりで『私、キンマンは生派です』と言ってくれたら死ぬほど盛り上がるだろうなと思いながら、生を購入。

 

変な話ですけど、焼きが何か不憫で(笑)

ずっと伝統を守ってきたのに、文字通り生半可なポッと出の『生』にエースの座を奪われて。

サラリーマンの悲哀すら微かに感じてしまう。

八ツ橋の場合に至っては、もはや焼きの存在意義が揺らぐほどに差を感じる。

 

箱入り個包装の生もみじと違って、生の金萬は裸で箱や袋にガサっと入れて渡される。

水分すぐ飛ぶから早めに食べてねという言葉どおり、生の食感がどんどん劣化していく。

剥き出しの生には弱点があるんだなあ、と。

 

これから先も色んな食べ物に『生』が増えていくんでしょうけどね、個人的には姫路の回転焼き、御座候(ござそうろう)とかに生があったら食べてみたいなあ、と。

しかし御座候の職人の親父が生派(意味深)かどうかについては、聞く事も考える事も一切控えたい。