知りたいか、知りたくないか
最近聴く音楽で気になる事があって。
たまたまですかね。歌詞に似たような表現、感覚。
『私このまま、何にも知らないまま歩いてく』
『知らないことを知らないまま行こう』
『本当に大切な事なんか突き止めたりはしないで』
3行とも違う曲、違う作者ですがね。
あ、今の若い人たちは余計な事はそんなに知らなくてもいいんだ…と、ね。
平成生まれは、生まれながらに情報過多の世代ですからね。山田の世代は結構年重ねるまで携帯電話とかインターネットとか無かったですから。
とにかく知りたい事が有りすぎて仕方なかった。
昔と今じゃ情報とか対人関係への向き合い方がどうしても、大なり小なり違いますよね。
上の3曲は、令和に入ってからの物です。嫌いじゃないし、むしろ好き。何とも言えない距離感。
昔より繊細な空気の歌詞が多い気すらする。
一方、我々昭和世代が聴き、歌い、時代を共にしてきた歌詞はというと。
『誰かに盗られるぐらいなら、あなたを殺していいですか』
『“気立ての優しい子だったよ、お前の嫁に欲しかったね”と、おふくろ今夜も独り言』
『行儀良く真面目なんてクソくらえと思った、夜の校舎窓ガラス壊して回った』
『例えばどうにかして君の中入っていって、その眼から僕をのぞいたら、色んなことちょっとはわかるかも』
『とってもとってもとってもとってもとってもとっても大好きよ』
『千ノナイフが胸ヲ刺ス』
…もう大体、無茶苦茶ですよ(最高)
令和世代がしんどい真理を考えるのはさて置き、マイペースでゆっくり歩く間にね。
昭和は浮気して殺され、女に都会に逃げられた挙げ句、夜毎おふくろにブツブツ言われ、夜の校舎でガラスを割り、どうにかして身体に入られ、シンプルにさんざん好きと言われた挙げ句、千本のナイフに刺されますから。
どちらの世界観も捨てがたい。
時代の歌詞の温度差で風邪引きそう(苦笑)
令和生まれのアーティストが生まれるまであと15年ぐらいですか。聴かなきゃ…。